今日のおむすび4.14後編
入院や施設等に入所してしまうと、例え家族でも顔をみる手段は制限され直接会うことはできないのが現状です。
直接会えない、直接話しができない、距離が遠い等々、そのことで認知機能の低下は多かれ少なかれ間違いなく起こると思っています。もちろん施設等ではその低下を防ぐための手段を講じていると思います。しかし、今まで一緒にいた生活から切り離されてしまうと、家族と直接会うというあたりまえにできていた事がどれほど貴重であったかと痛感せざるを得ません。
今回のケースでは通院の為に久しぶりに会って、会話の内容がいつもと違うというものです。やはり家族ということを認識していて、気兼ねなく文句のようなことを話していたと思います。
しかし、家族の方は利用者さんの言っていることがいまいち理解できていないようでした。私は運転しながら聞こえてくる内容と性別や年齢、普段接している様子からこんなことを話しているのではないかと考えていました。
だんだんと二人の会話がかみ合わずに利用者の方が「もういいよ」という感じで、さじを投げてしまう様子がうかがえました。みかねた私は、「おそらくですが…と、こういことを言っているのだと思いますよ」と、伝えました。家族が「そうなの?」と聞くと、利用者さんも頷かれました。
今までの老人ホーム勤務で築き上げてきた経験が生きた場面でした。
高齢者や障害者の方々でもはっきりと話すことができない方もいます。その為に当時は、利用者の現状や生活状況、その方の普段の様子等から色々なことを推測して、こうではないか?こういことを訴えているのではないか?等、幾度もコミュニケーションを重ねたものです。その経験から自然とこういうことを言っているのではないかと予測をしていたのです。
家族の方でも普段一緒に生活していればもちろんわかったことだと思いますし、例え一緒にいなくても定期的に会っていればこんなことは無かったでしょう。
そんな些細な、しかも久しぶりに会っての会話から不穏な空気にしてしまうコロナ禍の弊害を本当に心から痛感した出来事でした。
乱暴な言い方かもしれませんが、家族の距離だけでなく、繋がりまでをも破壊されてしまわないよう切に願うばかりです。